『源 頼朝』
EL GENERAL YORITOMO
吉川英治作
~七百年の武家社会を築いた
《武将 頼朝》を詠う~


彷徨い人 中島孝夫

スペイン語訳:
アントニオ ドゥケ ララ

篠笛(横笛)『京の夜』
福原一笛 演奏より

《30.隅田川》

2021年7月16日(更新)

* 常胤は
   子息たちと一族郎党
    三百余を従えいたり * 頼朝軍が
   下総に辿り着くと
    千葉常胤が出迎えぬ
隅田川筏渡之図


* その夜
   物見の兵が”大軍が来るぞ”と
    宿営へ駆けこみ来たり ~~ * 隅田川
   河原に辿り着いたれば
    二千余の軍隊となりぬ ~~ * 鎌倉へ!
   鎌倉へ! 軍の足なみは
    次第に大きくなりぬ ~~ * 頼朝と
   常胤の兵、総勢七百の
    行軍となりぬ ~~ * 常胤は
   頼朝に子息も孫も 預けるとの
    主従の誓いをしぬ


* 白髪の
   老将が 騎馬武者に囲まれ
    駒をすすめて来たり ~~ * 誰もが
   この大軍を迎えて 源氏の運勢は
    革まると思いぬ ~~ * 諸侯は
   二万という兵数を聞き
    眼をかがやかし歓喜しぬ ~~ * 頼朝が
   安房にいた時 味方を約した
    上総介広常の軍勢なり ~~ * ”敵か
    味方か”と驚きの声
     兵数は二万余と思われぬ


* ”頼朝が
    安房より進軍してから
     幾日になると思うぞや” ~~ * 頼朝の
   大声が”ならぬ!追い返せ!”
    と大喝しぬ ~~ * ~ただ今
    上総介広常殿が 二万余騎の
     お味方を引き連れ~ ~~ * 取次の
   武士は 頼朝の幕の下に
    跪きて伝えたり ~~ * 兵たちは
   ”上総介殿が 見えられる”と
     小手をかざして 眺め合いぬ


* 諸侯は
   顔色を変え 恐れ憂え疑い
    生唾をのみこみぬ ~~ * ”疾く帰れと言え”
    その声は上総介にも
     聞こえるほどなりき ~~ * ”左様な者は
    頼朝と事を起こすに足らぬ
     目通りはならん” ~~ * ”遅れて
    馳せ参ずるは 武士の
     第一に忌むところと覚える” ~~ * ”その間に
    合戦あらば 二万の兵とて
     間に合わぬ味方となる”


* 上総介は
   侍の面目と躁ぐ心を抑え
    頭をさげぬ ~~ * ”もう一度
    お目通りのお許しを
     お取次ぎの程 願い入りまする” ~~ * 上総介は
   武士へ頼みぬ”わたしの落度ゆえ
    御前でお詫びを” ~~ * 取次の
   武士が 上総介へ伝えぬ
    ”お気の毒な仕儀でござるが” ~~ * ”頼朝は
    大喝を発せし後 唇をむすび
     黙りこくりぬ


* その声を
   聞いた 上総介一族の輩は
    刀を掴みぬ ~~ * 頼朝の
   座所から 烈しい声が流れきたり
    ”ならぬ 追い返せと申すに” ~~ * ”お祖父様
    父上 引き返しましょうぞ”
     上総介は動かなかりけり ~~ * ”佐殿が
    何じゃ 思い上がりたる阿保ではないか
     口惜しい限りじゃ” ~~ * 上総介の
   子息や孫の若武者は
    憤然として言いぬ


* ”ここに
    坐して 殿のお怒りが解くるまで
     謹慎しておる所存でござる” ~~ * ”馳せ
    遅れしこと 一代の不覚と
     慙愧にたえませぬ” ~~ * 上総介は
   大地に座して言いぬ
    ”大事な西上のご発向に” ~~ * 取次の
   武士は 上総介と頼朝の間を
    三度往復しぬ ~~ * 上総介は
   ”何をする”と叱りつけ
     そこへ坐りて両手をつかえぬ


* 頼朝は
   傍らの者に”あれは何者か”と
    訊ね歩み寄りぬ ~~ * 頼朝は
   陣の外の大地に座り居る
    上総介を目にしたり ~~ * 上総介は
   頼朝の”追い返せ”の叱責を聞き
    頼朝を見直しぬ ~~ * 上総介は
   味方と見せて 二万の兵で
    頼朝軍を討たんとしぬ ~~ * 上総介は
   頼朝の召しをうけし時
    去就に迷いていたり


* 上総介は
   源氏の味方を許され
    自分の陣所へ帰りぬ ~~ * ”わが軍律に
    ようお臥しなされたり
     味方の心も 引き締まろうぞ” ~~ * ”おのずと
    厳かに過ぐるとも
     妥協は 持ち合わせてはおらぬ” ~~ * 頼朝は
   ”生涯の門立ちゆえ
     厳しき軍律で臨んでおる” ~~ * 頼朝は
   上総介の手を取り言いぬ
    ”ご堪忍のつよい事なりや”


* ”五百ほどの
    小勢ゆえ わが二万の大兵に
     歓ぶと思いていたり” ~~ * ”天下は
    平相国のものなるに
     頼朝は一流人より起こりたり” ~~ * 上総介
   説きぬ”わしは あの殿には
    頭が下がったのじゃ” ~~ * 彼らは
   上総介に詰め寄り
    偽りなき真意を打叩きぬ ~~ * 上総介の
   肉親や諸侯たちは
    無念の涙をたたえていたり


* ”今日以後
    上総介は 頼朝殿の臣下なるぞ
     そち達も過るなよ” ~~ * ”将たる器は
    ああでなければならぬ
     行末 頼もしき大将じゃ” ~~ * ”「遅参の条
     緩怠至極」と怒られながらも
      わしは快く思いたり”