【源氏物語】を詠う ~紫式部~
 瀬戸内寂聴訳 
彷徨い人 中島孝夫
 スペイン語訳:アントニオ ドゥケ ララ
《若紫~源氏の君18歳~》

* ある人が
   告げぬ”北山のある寺に
    すぐれた聖がおります” * 源氏の君は
   疫病にかかり まじないや
    加持祈祷をされていたり


* 山桜は
   盛りにて たなびく春霞も
    趣きふかかりし ~~ * 源氏の君は
   五人の供を連れ
    まだ暗い明け方に出発されぬ ~~ * 源氏の君は
   聖は老いて岩屋の外へ
    出られないと知らされる ~~ * ”この聖の
    祈祷を お試しなさい
     こじらせると厄介ですので” ~~ * ”この聖が
    この病気を治した例が
     たくさんございます”


* 源氏の君が
   ”誰が住んでるのだろう”と
     お尋ねになられたり ~~ * 源氏の君は
   坂道の下の 風情ある
    僧坊を見下ろしぬ ~~ * 源氏の君は
   岩窟より外に出て
    あたりを眺望したり ~~ * 聖は
   護符を 源氏の君に飲ませ
    加持祈祷をもしてさし上げぬ ~~ * 聖は
   高き峰の奥深い
    岩窟の中に籠りていたり


* 源氏の君が
   言いぬ”このような美しい所に
        住む人は” ~~ * ”僧都が
    あんな所に 女を囲いなさる
     ことはないだろう” ~~ * お供が
   言いぬ”美しい女や
    若い女房も見えます” ~~ * 綺麗な
   女童たちが 庭で水を汲み
    花を折りていたり ~~ * お供が
   答えぬ”ある僧都が 二年ほど
    籠られておられるそうです”


* ”その入道は
    娘を一人 立派な邸で
     大切に育てております” ~~ * ”前の
    播磨の守は 先頃 出家され
     入道となりております” ~~ * ”海原を
    見渡しますと 不思議なほど
     おだやかな感じがします” ~~ * お供が
   言いぬ”播磨の明石の浦が
    なかなか よろしゅうございます” ~~ * ”自然の
    美しさを味わいつくして
     思い残すこともないだろう”


* ”入道は
    娘に常々 遺言して
     決めているとのこどです” ~~ * ”入道は
    娘の将来に 格別の思案を
     持ちているようです” ~~ * ”播磨の国守も
    丁重な求婚の素振りを
     見せているようです” ~~ * お供が
   答えぬ”娘の器量や性格も
    結構なようです” ~~ * 源氏の君が
   興を催して聞きぬ
    ”その娘というのは”


* 僧都が
   部屋に来て 尼君に言いぬ
    ”源氏の君が 上の聖の坊に” ~~ * 源氏の君が
   僧坊を覗くと お勤めしている
    尼君が見えたり ~~ * 源氏の君は
   惟光と あの小柴垣の
    辺りに出かけぬ ~~ * 源氏の君は
   強い興を催し
    娘に興味を持ちたり ~~ * ”運命の
    志に外れるなら
     海に身を投げて 死ぬるがよい”


* 尼君は
   病身らしくいかにも弱々しく
    誦経をしていたり ~~ * 尼君は
   西側の部屋に持仏を据え
    お勤めをしていたり ~~ * ”わたしも
    御挨拶申し上げてまいりましょう”と言い
     僧都は部屋を出でぬ ~~ * ”光源氏の君を
    この機会に拝まれては
     いかがですか” ~~ * ”わらわやみの
    まじないに いらしていることを
     聞きつけました”


* その子は
   顔つきが可愛らしく 眉のあたりが
    ほのぼの匂いていたり ~~ * その女の子は
   尼君のそばへ来て
    畏まりて座りたり ~~ * 十ぐらいの
   可愛らしい顔立ちの
    女の童が立ちていたり ~~ * 尼君は
   たいそうな色白で やせているも
    頬はふくよかなり ~~ * 尼君は
   四十余りで相当の身分の
    人らしく見えたり


* ~生ひ立たむ
    ありかも知らぬ若草を
     おくらす露ぞ消えむ空なき~ ~~ * ”もし今
    わたしがあなたを残して
     死んだらどう暮らすおつもりやら” ~~ * ”母君は
    その時分には物の道理も分別も
     わきまえておられたり” ~~ * 尼君
   言いぬ”あなたの亡くなりし母君は
    十ぐらいの年に 父君に先立たれぬ” ~~ * 源氏の君は
   成長していく先が楽しみだなと
    目を惹かれぬ


* ”こちらに
    お泊りになられている少女は
     どなたでございましょうか” ~~ * 源氏の君は
   可憐な少女の悌が 心にかかり
    僧都にたずねたり ~~ * 僧都が
   参上し 源氏の君を
    僧都の房へ案内しぬ ~~ * 源氏の君
   思いぬ~あの子は 誰なのか
    側に置いてなぐさめにしたい~ ~~ * 源氏の君は
   ~可愛い人を見た~
     と忍び歩きを面白いと思いぬ


* 源氏の君は
   少女が藤壺に似ていると
    心を惹かれぬ ~~ * 源氏の君は
   あの少女は 故大納言の子で
    あられたのかと納得しぬ ~~ * ”妹は
    病気がちになり わたしを頼りて
     山籠りしております” ~~ * ”北の方は
    わたしの妹で 按察使の死後
     出家いたしたり” ~~ * 僧都
   答えぬ”故按察使大納言の
    北の方の娘です”


* ”祖母の尼に
    相談いたして 尼から
     お返事申し上げさせましょう” ~~ * 僧都は
   冷たく言いぬ”あの子は まだ
    幼稚なように見えまする” ~~ * ”尼君に
    考えて下さるよう
     お話願えないものでしょうか” ~~ * 源氏の君
   僧都に言いぬ”尼君に
    少女の後見役に 私をと・・・” ~~ * 源氏の君は
   少女と一緒に暮らし
    理想的な女に育てたいと思いぬ


* 源氏の君は
   尼君への手紙を書きぬ
    ”姫君へのわたしの愛情を~” ~~ * 少女を
   穏便に引き取り
    心の慰めにしたいと考えぬ ~~ * 源氏の君は
   少女の育ちゆくさまを
    見守りたいと思いぬ ~~ * 源氏の君は
   宮中に参内し
    帰京を帝に報告しぬ ~~ * 僧都は
   よそよそしく堅苦しい
    態度になり お堂に上がりぬ


* 尼君は
   思案にくれて 幼き姫を
    思いやりつつ返事しぬ ~~ * 添え書きに
   「夜の間の風に 花が散るのではと
     心配でなりません」 ~~ * ~おもかげは
    身をも離れず 山桜
     心の限りとめて来しかど~ ~~ * 若草の君
   あてには 小さな結び文に
    一首詠まれていたり ~~ * ”お察し
    下されましたら どんなにか
     嬉しいことかと思います”


* 源氏の君は
   寒々しく寂寞と
    荒れ果てた邸を訪れぬ ~~ * 乳母の少納言より
   ”姫君が京のお邸に
     帰られた”との連絡あり ~~ * 源氏の君は
   姫君はどうなさりているかと
    おぼろげに思い出しぬ ~~ * しばらくして
   僧都より尼君の亡くなられた
    知らせが届きぬ ~~ * ~嵐吹く
    尾上の桜散らぬ間を
     心とめけるほどのはかなさ~


* 源氏の君は
   几帳の中に坐りいる
    姫君の体をさぐりたり ~~ * 乳母は
   姫君を 源氏の君のほうへ押しやり 言いぬ
    ”まだ他愛なくて” ~~ * 姫君は
   すてきな源氏の君と知り
    乳母の少納言にする寄りぬ ~~ * ”父君では
    ありませんが そんなによそよそしく
     なさりてはだめです” ~~ * 源氏の君は
   姫君に言いぬ”隠れたりせず
    わたしの膝の上で寝みなさい”


* 姫君は
   恐ろしくて どうなることかと
    怯え震えていたり ~~ * 乳母の
   少納言は動転し 気を揉みつつ
    溜め息をつきていたり ~~ * 源氏の君
   言いぬ”これからは わたしを
    頼りになさるのですよ” ~~ * 源氏の君は
   姫君の手をとり 几帳の内に
    すべりこみぬ ~~ * 源氏の君は
   つややかな髪が ふさふさと
    手に触れるのを感じぬ


* 姫君は
   もじもじ身じろぎしつつ
    眠れぬまま横になりていたり ~~ * 源氏の君が
   やさしそうなので 姫君は
    ひどくは怯えなかりけり ~~ * ”おもしろ絵も
    たくさんありますし
     お人形遊びもしましょうか” ~~ * 源氏の君
   姫君に話しかけぬ”わたしの
    家にいらっしゃい” ~~ * 源氏の君は
   姫君を可愛く思われ
    単衣にくるみ抱きぬ


* 源氏の君は
   姫君を二条の院に
    お連れせんと思い立ちぬ ~~ * 姫君は
   尼君が亡くなられてしまわれたと
    悲しんでばかりいたり ~~ * 源氏の君は
   姫君の髪を 幾度もかき撫で
    かき撫ぜ帰りたり ~~ * ”いつまでも
    このような淋しい所で お過ごしでは
     どうかと思われます” ~~ * 源氏の君
   乳母に言いぬ”姫君をわたしの
    ひとり暮らしの邸に・・・”


* 乳母の
   少納言は 姫君の召物をかかえ
    車に乗り込みぬ ~~ * 源氏の君は
   帳台の中で寝ている
    姫君を抱きあげたり ~~ * ”姫君が
    移られる前に申し上げて
     おきたい事がありまして・・・” ~~ * 源氏の君
   乳母の少納言に言いぬ
    ”姫君は兵部卿の邸へ移られると” ~~ * 源氏の君は
   夜明け前に惟光を共に連れ
    出かけられぬ


* 源氏の君は
   姫君を風変わりな
    秘蔵娘と思いていたり ~~ * 姫君は
   源氏の君が 他所より帰られると
    出迎え甘えられぬ ~~ * 源氏の君は
   宮中へ上がらずに
    姫君の機嫌をとりていたり ~~ * 姫君は
   気味悪く思われ
    どうされるのかと 震えていたり ~~ * 源氏の君は
   二条城につくと 姫君をかかえ
    車から降ろしぬ

~ 終 ~