短歌で綴る鎌倉の歴史と文化 「鎌倉の古道を歩く」 鎌倉短歌紀行 | |
鎌倉の現在の地区名は、昔の地名がそのまま地区名になっています。 今回の鎌倉歩きは、昔の地名(地区名)を辿る散策です。 |
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現在の地名(地区名) | 昔の地名 |
■十二所にある史跡 | ■十二所 |
・朝比奈切通し ・梶原太刀洗いの水 ・十二所神社 ・光触寺 ・塩嘗地蔵 ・大慈寺跡 ・明王院 ・大江広元の墓 |
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■浄明寺にある史跡 | ■浄妙寺 |
・足利公方屋敷跡 ・浄妙寺 ・報国寺 ・文覚上人屋敷跡 ・大御堂が谷 | |
■二階堂にある史跡 | ■二階堂 |
・ 荏柄天神 ・ 鎌倉宮(大塔宮) ・ 理智光寺跡 ・ 永福寺跡 ・ 護良親王の首塚 ・ 薬師堂‐覚園寺 ・ 黒地蔵 ・ 覚園寺百八やぐら ・ 十王石(喚十王) ・ 瑞泉寺 ・ 吉田松陰留跡碑 ・ 貝吹き地蔵 ・ 関場橋 ・ 歌の橋 ・ 杉本寺 |
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■西御門にある史跡 | ■西御門 |
・大倉(蔵)幕府跡 ・西御門・東御門 ・源頼朝の墓 ・来迎寺 ・白旗神社(法華堂跡) ・大江広元の墓 |
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■雪の下にある史跡 | ■雪の下 |
・若宮大路 ・段葛 ・宇津宮辻子幕府跡 ・若宮大路幕府跡 ・鶴岡八幡宮 ・大いちょうと実朝 ・下宮(若宮) ・白旗神社 ・源平池 ・頼朝と西行 ・畠山重忠の 屋敷跡 ・三浦義村の屋敷跡 ・鉄の井 ・新宮(今宮) ・二十五坊跡 ・巨福呂坂 (小袋坂) |
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■小町にある史跡 | ■小町 |
・本覚寺 ・夷堂 ・大巧寺 ・蛭子神社 ・琴弾きの松 ・日蓮上人辻説法跡 ・日蓮上人 ・妙隆寺 ・東勝寺跡と腹切りやぐら ・宝戒寺 ・土佐坊昌俊の屋敷跡 |
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■大町にある史跡 | |
・妙本寺 ・一幡の袖塚 ・蛇苦明神 ・新釈迦堂跡 ・常栄寺(ぼたもち寺) ・下馬 ・身代わり地蔵と延命寺 ・八雲神社 ・別願寺 ・昇竜観音と安養寺 ・上行寺 ・佐竹屋敷と大宝寺(多福寺) ・唐糸やぐら ・岩窟(法窟)と安国論寺 ・妙法寺 ・長勝寺 ・日蓮乞水 ・名越の切通し ・辻の薬師 ・本興寺と辻説法 ・教恩寺 ・裁許橋 ・六地蔵 |
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■扇が谷にある史跡![]() |
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・正宗の井と刃稲荷 ・寿福寺 ・勝の橋 ・八坂神社(相馬天王) ・英勝寺 ・阿仏尼墓 ・源氏山 ・浄光明寺 ・冷泉為相の墓 ・泉の井と扇の井 ・亀が谷坂(亀返り坂)切通し ・海蔵寺 ・泣薬師(児護薬師) ・底脱の井 ・十六の井 ・景清の牢跡 ・化粧坂 ・葛原岡神社と日野俊基の墓 ・銭洗い弁天 ・佐助稲荷 |
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≪十二所≫にある史跡 | ||
LUGARES HISTORICOS EN
JUNISO |
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<朝比奈切通し> * 朝比奈三郎 切り通したると伝えらる 苔むす岩の峠登りぬ
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「塩嘗地蔵」 * 六浦の塩売り 朝比奈峠越え 鎌倉へ塩売りに通いぬ * 塩売りは 商売繁盛祈願して 地蔵に塩を供えたり * 朝に供えし塩は 夕べになくなりて 地蔵が嘗めたにちがいなしと * 地蔵さん長寿の秘訣は 塩嘗めることですかと 顔見て問えり 「大慈寺跡」 * 谷あいの 実朝建てし大慈寺の跡に 草木繁り集いぬ 「明王院」 * 火事にあい 五大尊の不動明王一体のみ 焼け残りぬ 「大江広元の墓」 * 草深き 山里の道分け入れば 大江広元の墓と出会いぬ |
≪浄明寺にある史跡≫ | ||
「足利公方屋敷跡」 * 鎌倉幕府滅びし後 足利幕府足利公方が 睨みきかせり * 室町時代 足利公方屋敷周辺が 鎌倉の中心となりぬ * 足利公方屋敷跡 土地の人はこの辺りを 今もお屋敷と呼べり 「浄妙寺」 * 山門をくぐり抜けると 鎌倉の五山第五座 浄妙寺あり * 藤原鎌足の”鎌埋地” 鎌倉の名前の由来と 聞き覚えたり * ”鎌埋地” 鎌足埋めし鎌槍を 掘り出すことは叶わぬのかや |
「報国寺」 * 滑川の華の橋を渡り 報国寺の釈迦三尊に合掌す 「文覚上人屋敷跡」 * 文覚上人 法王院宣 以仁王令旨 掲げ 頼朝に平家討伐決心させたり 「大御堂が谷」 * 頼朝は 父義朝の霊慰めんと 勝長寿院(大御堂)建立しぬ * 大御堂 文政十二年(1829)廃寺となり 礎石ここかしこ見ゆるのみ |
≪二階堂にある史跡≫ | ||
「荏柄天神」 * 荏柄天神 雷電に乗り来て 光り発せし菅原道真が祭神なり * 荏柄天神 日本三大天神と崇められし 学問の神さまなり 「鎌倉宮(大塔宮)」 * 鎌倉宮 明治天皇創建され 大塔宮護良親王祭られたり * 護良親王 足利尊氏の讒言で 社殿裏山の岩窟に幽閉されぬ * 護良親王 幽閉の日々いかに過ごせしかと 岩窟覗きこみたり *護良親王 中先代の乱の折 足利直義の命受けし 淵辺義博に首刎ねられぬ <備考: 中先代 とは 北条時行 のこと> * 明治天皇 護良親王の足跡世に知らしめんと 境内に石碑建てれり 「理智光寺跡」 * 理智光寺住職 護良親王の遺体を 埋葬せし義僧なり 「永福寺跡」 * 頼朝は 中尊寺大長寿院に似せ 永福寺を造営したり * 永福寺 池の水面に美しき姿映せしも 火災にあいぬ * 永福寺 国の指定の史跡なるも 今は土台の石残すのみ <護良親王の首塚> * 首はねられし親王の目は 生きている人の如くに光れりと * 藪に捨てられし親王の首 理智光寺住職この地に葬れり * 理智光寺裏の石段登りつめ 護良親王の首塚拝めり 「薬師堂‐覚園寺」 * 北条義時 薬師如来戌神将のお告げにより 薬師堂建てぬ * 北条貞時 元寇撃退祈願し 覚園寺建て薬師堂を本堂に組込めり |
「黒地蔵」 * 覚園寺の黒地蔵 地獄をめぐり 罪人の責め苦を目にしぬ * 黒地蔵 地獄の番人となり 罪人の苦しみ解かんと欲せり * 黒地蔵 地獄の炎浴び常に黒きゆえ 黒地蔵と呼ばれり 「覚園寺百八やぐら」 * 覚園寺 裏山に鎌倉室町時代の 武士僧侶の墓やぐらあり 「十王石(喚十王)」 * 半増坊への山道の 自然石に 閻魔王浮き出でし 「瑞泉寺」 * 瑞泉寺 鮮やかな四季の彩りが 紅葉谷の清流に映る * 瑞泉寺 夢想国師の開山にして 境内は国定史跡なり * 瑞泉寺 夢想国師の名園は 国の名勝に定められし * 鎌倉公方の菩提寺 瑞泉寺は 歴代公方の墓守れり 「吉田松陰留跡碑」 * 吉田松陰 長州野山獄で詠いし漢詩 「瑞泉寺方丈深く錦屏山の懐に~」 の碑が山門に立つ 「貝吹き地蔵」 * 地蔵さん 貝吹きならし 北条高時の首葬る場所を示せり 「関場橋」 * 小田原北条氏直 この橋に関所設け 通行税課せりぬ 「歌の橋」 * 罪人渋川兼守 和歌十首に己のこころ詠みて 無罪を訴えたり * 将軍実朝 これを読みいたく感心し その罪を許せり * 兼守 命助けられしお礼に 歌の橋造りて寄贈したり 「杉本寺」 * 観音は 文治五年(1189)お堂火災の折り 庭の杉の木の本に避難しぬ |
≪西御門にある史跡≫ | ||
「大倉(蔵)幕府跡」 * 大倉幕府 頼朝、頼家、実朝の 武家政治の中心地なりし * 大倉幕府 源氏三代 政子亡くなるまで四十六年続きぬ 「西御門・東御門」 * 頼朝は 御所の西に西御門 東に東御門を造りぬ 「源頼朝の墓」 * 頼朝は 大倉幕府の北側の 山の中腹に眠りいる * 頼朝は 大倉山の墳墓より 幕府の栄華を偲びいるらん |
「来迎寺」 * 来迎寺 西御門の谷戸の 小高き丘の中腹に建てられぬ * 来迎寺の 鮮やかな土紋の衣着た 如意輪観音に見とれぬ 「白旗神社(法華堂跡)」 * 法華経を敬いし武家は 先祖の霊を法華堂に祀りぬ 「大江広元の墓」 * 政所別当大江広元は 横穴古墳のやぐらに眠れり |
≪雪の下にある史跡≫ | ||
「若宮大路」 * 若宮大路 鶴岡八幡宮より 由比が浜に到る参道なり * 由比が浜より 一、二、三の鳥居立ちし 若宮大路を辿りぬ 「段葛」 * 頼朝は 二と三の鳥居の間に かつら石の土手を敷かせり * 頼朝は 政子の安産祈りて かつら石を一段高く敷きぬ * この一段高きかつら石の土手は 段葛と呼ばれ今に至れり 「宇津宮辻子幕府跡」 * 政子亡くなりし後 幕府は大倉より 宇津宮辻子に移りぬ * 藤原頼経、頼嗣二代の将軍は ここで十七年間政治行いぬ * 幕府跡を訪ね行けば 宇津宮辻子稲荷が 主となり棲みおる 「若宮大路幕府跡」 * 三番目の幕府は 若宮大路三の鳥居の 東に造られり * 四代の将軍 八十二年間 若宮大路幕府で政務執りぬ * 北条氏の滅亡とともに 鎌倉幕府も終焉を告げぬ <鶴岡八幡宮> * 鶴岡八幡宮 大臣山の削平されたる地に 創建されぬ <建久二年(一一九一)> * 鶴岡八幡宮の祭神は 応神天皇 神功皇后 比売神なり * 頼朝 八幡宮を崇めしゆえに 諸国の武士も八幡宮まつりたり * 鶴岡八幡宮 人々の信仰厚く お参りする人絶えることなし * 八幡宮例大祭は 九月十四日宵宮祭り 例際 流鏑馬と続きぬ <大いちょうと実朝> * 実朝は 拝賀の式終え 降りしきる雪の中をば石段下りぬ * 公暁 大いちょうの木陰より 実朝に太刀浴びせ首取り逃げたり * 実朝二十八歳 その亡骸は勝長寿院に葬られぬ * 公暁は 十九歳の若者なれど 北条義時らに討たれたり * 公暁は 二代将軍頼家の二男なりしも 軽薄な性格なりし * 頼家は 北条氏の陰謀により 伊豆修善寺で暗殺されぬ * 北条氏 公暁だまし実朝殺させ 源氏を滅ぼさせたり * 大いちょう 強風で根こそぎ倒れ 歴史を語る舞台なくなりぬ |
<下宮(若宮)> * 静御前 「しずやしず ~ 」 と 義経慕いつつ舞い終えたり 文治二年(一一八六) 「白旗神社」 * 白旗神社 若宮の東の木立の中に 頼朝、実朝祀られぬ * 白旗神社 秀吉参拝せし折 頼朝の木像に語りかけぬ 「源平池」 * 三の鳥居くぐりて ひょうたん型の蓮池・源平池に目をやりぬ * 源氏の池には白い蓮 平家の池には赤い蓮が植えられぬ * 源氏の池に三つの島 平家の池には四つの島が築かれたり * 白蓮は白旗 赤蓮は赤旗 三は産 四は死を意味しぬ * 白旗の源氏が栄え 赤旗の平氏は滅ぶことを表せり 「頼朝と西行」 * 文治二年(一一八六) 頼朝は三の鳥居付近で 奥ゆかしき僧に出会いぬ * 西行 大仏殿の資金調達で 奥州に向う途中なりし * 頼朝 西行に逗留願うも 西行応じず鎌倉を去りぬ 「畠山重忠の屋敷跡」 * 重忠は 頼朝に将軍頼家が事託されしも 北条氏に滅ぼされぬ * 重忠の屋敷は 白旗神社の先の 赤き鳥居の辺りにありし 「三浦義村の屋敷跡」 * 義村 石橋山の敗戦を知り 安房に渡りて頼朝励ませり * 頼朝 重臣義村に 幕府に近き大臣山の東に邸宅与えぬ 「鉄の井」 * この井の底に 鉄観音の首鎮座せしゆえ ”鉄の井”と呼ばれぬ * 鎌倉十井の一つ ”鉄の井”は 冷たき甘さ持つ名水なりし 「新宮(今宮)」 * 承久の乱(一二二一)後 鎌倉幕府は 八幡宮の山麓に社殿建てたり * 後鳥羽、土御門、順徳各上皇の 御霊慰める新宮なりし 「二十五坊」 * 小袋坂への曲がり角に 八幡宮供僧の住坊ありし * 頼朝 供僧の数を 二十五菩薩になぞらえ 二十五僧と定めぬ 「巨福呂坂(小袋坂)」 * 鎌倉七切通しの一つにして 八幡宮の裏より 建長寺に通じぬ |
≪小町にある史跡≫ | ||
「本覚寺」 * 足利公方・足利持氏 日出上人の人柄に感じ入り 本覚寺建てたり * 本覚寺は 若宮大路と小町大路に挟まれし 夷堂跡にあり 「夷堂」 * 頼朝 幕府の裏鬼門方角に 守り神の夷神祀れり * 滑川に架かる 夷堂橋は 鎌倉十橋の一つなり 「大巧寺」 * 頼朝 大行寺と呼ばれし寺で 作戦練りて戦に勝利しぬ * 頼朝 この寺の名を 大行寺より大巧寺に改称したり * 日棟上人 難産で亡くなりし女の幽魂により ”産女堂”建てぬ * かの産女 ”おんめさま”と呼ばれ 安産の神さまと信仰されぬ 「蛭子神社」 * 本覚寺前の 小町大路を北に辿り 蛭子神社拝しぬ * 昔の夷堂が 蛭子神社となり 大国主命まつりぬ 「琴弾きの松」 * 琴弾橋の東の 小御所ヶ丘と呼ばれし 丘の上に松ありし * 松風が 琴の音色の如きなれば 琴弾の松と呼ばれたり 「日蓮上人辻説法跡」 * 日蓮は 人通り多き辻に立ち 法華経の正しさを説きぬ 「日蓮上人」 * 日蓮 安房国に生まれしも 鎌倉にて法華経布教に努めり * 日蓮 外国の侵攻で国滅ぶと 「立正安国論」著せり * 日蓮 蒙古来襲により 「立正安国論」の正当性説きぬ * 日蓮 佐渡に流されし後 鎌倉に戻り夷堂に住めり |
「妙隆寺」 * 妙隆寺 小町大路に顔を向け 若宮大路に背を向け立ちぬ * 鎌倉時代 若宮大路側の 出入口設置は禁じられし * 二代目日親上人は 将軍足利義教に弾圧されぬ * 日親上人 将軍に捕らえられ 赤熱せし鉄鍋をかぶせられたり * 日親上人 ”鍋かぶり日親”と慕われ その名を世に広めたり 「東勝寺跡と腹切りやぐら」 * 東勝寺橋渡り 葛西が谷の坂道登れば 東勝寺跡なり * ここは 北条泰時創建せし 北条氏の寺跡なり * 新田義貞に攻められし 北条高時 この地で自刃し果てぬ 「宝戒寺」 * 白萩の花で知られし宝戒寺 北条執権屋敷跡に建ちぬ * 新田義貞 鎌倉に攻め入りて 北条執権屋敷焼き払いぬ * 後醍醐天皇 北条一族慰めんと 宝戒寺建立させたり 「土佐坊昌俊の屋敷跡」 * 土佐坊昌俊 頼朝の命受け 義経を京で討とうと企てり * 土佐坊昌俊の屋敷は 宝戒寺境内の 南にありしと伝えらる |
≪大町にある史跡≫ | ||
「妙本寺」 * 比企能員の女若狭局 将軍頼家の寵愛を受けぬ * 若狭局 一幡を生み 頼家弟千幡(実朝)との跡目 争い起りぬ * 北条時政 次期将軍は 一幡にと図りし比企能員を 殺しぬ * 比企一族 一幡を擁し 比企が谷に立てこもり 時政軍と戦いぬ * 時政の大軍 比企が谷に攻め寄せ 比企一族を滅ぼしぬ * 一幡 戦火に焼かれ 若狭局は 井戸に身を投げ亡くなりぬ * 能員の末子(大学) 日蓮の弟子となり 父の屋敷跡に妙本寺建てり 「一幡の袖塚」 * 妙本寺 山門脇の小さき墓は 一幡の袖塚なりし * 一幡の 焼け残りし小袖の端は ここに埋められぬと 「蛇苦止明神」 * 若狭の局 家宝抱き井戸へ入水し 蛇と化して家宝守りぬ * 執権北条政村の姫に 若狭局の怨霊 乗り移りたり * 北条政村 姫の苦しみ和らげんと 祠を建て若狭局の霊祀りぬ * この祠 蛇苦止明神と呼ばれ 妙本寺の守護神となりぬ 「新釈迦堂跡」 * 二代将軍頼家の 遺姫竹の御所(一幡の妹) 住みいし館跡を捜しぬ * 竹の御所跡は 妙本寺の祖師堂池を 隔てた所にあり * 竹の御所 難産で亡くなりし時 ”釈迦堂建てそこに葬り給え” と 遺言せり * 竹の御所は 祖師堂墓地に建てられし 新釈迦堂跡に眠れり 「常栄寺(ぼたもち寺)」 * ぼたもち寺と 呼ばれし常栄寺の 縁起に触れんと門をくぐりぬ * 日蓮が 龍の口で救われたるは 老婆(桟敷尼・法名:妙常日栄) 与えしぼたもちゆえと * 老婆亡くなりし時より その法名に因み 常栄寺と呼ばれぬ 「下馬」 * 鶴岡八幡宮を参拝せし武士は この辻で馬降りよと命じられぬ * 神仏を敬う時代の武士は 八幡宮前のこの辻で下馬したり 「身代わり地蔵と延命寺」 * 延命寺 辣腕政治家 北条時頼夫人の創建なり * 延命寺の 裸の姿で彫られし地蔵 今日は衣を着ていたり * 身代わり地蔵の名の由来 時頼夫人の双六の 勝負を救いし故と |
「八雲神社」 * 八雲神社 社宝の神輿 剣 銅鏡 猿田彦面 勢揃いしぬ 「別願寺」 * 別願寺 室町時代の足利氏 代々深く帰依したり 「昇竜観音(良縁観音)と安養寺」 * 昇竜観音に 政子祈りて 頼朝と縁を結ばれ 天下を取りたり 「上行寺」 * 妙法寺より 移築されし本堂の 彩色格天井に魅入りぬ 「佐竹屋敷跡と大宝寺(多福寺)」 * 後三年の役(一〇八三)の後 新羅三郎義光 この地に居住せり * 佐竹屋敷 義光末裔秀義 佐竹氏歴代の館跡なり * 室町時代 佐竹義盛出家して 館の近くに大宝寺建てぬ 「唐糸やぐら」 * 木曽義仲家来 手塚太郎の娘唐糸 頼朝に仕えぬ * 唐糸 義仲の回し者と見破られ 土牢に押し込められたり * 唐糸の 閉じ込められし山あいの土牢は ”唐糸やぐら” と呼ばれぬ 「岩窟(法窟)と安国論寺」 * 日蓮 岩窟を道場とし 立正安国論を書き上げたり * 日蓮の弟子日朗 岩窟の際に寺造り 安国論寺と名づけぬ 「妙法寺」 * 護良親王皇子 父の悲壮な最期を悲しみ 妙法寺を創建しぬ 「長勝寺」 * 日蓮が 石井長勝より貰いし屋敷は 帝釈天霊場となりぬ 「日蓮乞水」 * 日蓮 水欲し杖を地に突きさせば 清水湧き出でぬと伝えらる * 日蓮乞水 今もわずかに流れ出で 鎌倉五名水に数えらる 「名越の切通し」 * 名越の切通し 狭き峠道に 大空洞 小空洞の難所あり 「辻の薬師」 * 辻の薬師 薬師如来の胎内より あまたの経巻現れ出でたり 「本興寺と辻説法」 * 日蓮 辻説法行いし地に 弟子天目本興寺建てぬ 「教恩寺」 * 教恩寺 境内掘ればあふれ出でし 中国宋と明の古銭が 「裁許橋」 * 将軍頼家 問注所を 佐助川にかかりし 橋の脇に設けたり * この橋 裁許橋と名づけられ 鎌倉十橋の一つとなりぬ 「六地蔵」 * 六地蔵 刑場で処刑されし罪人を 供養せんとまつられたり |