鎌倉の古道を歩く 彷徨い人 中島孝夫


短歌で綴る鎌倉の歴史と文化 「鎌倉の古道を歩く」 鎌倉短歌紀行
鎌倉の現在の地区名は、昔の地名がそのまま地区名になっています。
今回の鎌倉歩きは、昔の地名(地区名)を辿る散策です。
現在の地名(地区名) 昔の地名
十二所にある史跡 ■十二所
 ・朝比奈切通し ・梶原太刀洗いの水 ・十二所神社 ・光触寺 ・塩嘗地蔵  
 ・大慈寺跡 ・明王院 ・大江広元の墓
■浄明寺にある史跡 ■浄妙寺
・足利公方屋敷跡 ・浄妙寺 ・報国寺 ・文覚上人屋敷跡 ・大御堂が谷
■二階堂にある史跡 ■二階堂
・ 荏柄天神 ・ 鎌倉宮(大塔宮) ・ 理智光寺跡 ・ 永福寺跡 ・ 護良親王の首塚
・ 薬師堂‐覚園寺 ・ 黒地蔵 ・ 覚園寺百八やぐら ・ 十王石(喚十王) ・ 瑞泉寺
・ 吉田松陰留跡碑 ・ 貝吹き地蔵  ・ 関場橋  ・ 歌の橋  ・ 杉本寺
■西御門にある史跡 ■西御門
・大倉(蔵)幕府跡 ・西御門・東御門 ・源頼朝の墓 ・来迎寺 ・白旗神社(法華堂跡)
・大江広元の墓
■雪の下にある史跡 ■雪の下
・若宮大路 ・段葛 ・宇津宮辻子幕府跡 ・若宮大路幕府跡 ・鶴岡八幡宮 
・大いちょうと実朝 ・下宮(若宮) ・白旗神社 ・源平池 ・頼朝と西行 ・畠山重忠の
 屋敷跡 ・三浦義村の屋敷跡 ・鉄の井 ・新宮(今宮) ・二十五坊跡 ・巨福呂坂
 (小袋坂)
■小町にある史跡 ■小町
・本覚寺 ・夷堂 ・大巧寺 ・蛭子神社 ・琴弾きの松 ・日蓮上人辻説法跡
・日蓮上人 ・妙隆寺 ・東勝寺跡と腹切りやぐら ・宝戒寺 ・土佐坊昌俊の屋敷跡
■大町にある史跡
・妙本寺 ・一幡の袖塚 ・蛇苦止明神 ・新釈迦堂跡 ・常栄寺(ぼたもち寺) 
・下馬 ・身代わり地蔵と延命寺 ・八雲神社 ・別願寺 ・昇竜観音と安養寺
・上行寺 ・佐竹屋敷と大宝寺(多福寺) ・唐糸やぐら ・岩窟(法窟)と安国論寺
・妙法寺 ・長勝寺 ・日蓮乞水 ・名越の切通し ・辻の薬師 ・本興寺と辻説法
・教恩寺 ・裁許橋 ・六地蔵
■扇が谷にある史跡
・正宗の井と刃稲荷 ・寿福寺 ・勝の橋 ・八坂神社(相馬天王) ・英勝寺
・阿仏尼墓 ・源氏山 ・浄光明寺 ・冷泉為相の墓 ・泉の井と扇の井
・亀が谷坂(亀返り坂)切通し ・海蔵寺 ・泣薬師(児護薬師) ・底脱の井
・十六の井 ・景清の牢跡 ・化粧坂 ・葛原岡神社と日野俊基の墓 
・銭洗い弁天 ・佐助稲荷
■材木座にある史跡
・一の鳥居 ・畠山重保の墓 ・和田塚 ・元八幡 ・妙長寺 ・向福寺 ・九品寺 
・補陀洛寺 ・荒居閻魔堂跡 ・実相寺 ・五所神社 ・光明寺 ・材木座 
・和賀江島(和賀江津) ・六角の井(矢の根井戸) ・住吉城と正覚寺
■長谷にある史跡
・収玄寺 ・長谷観音 ・長谷観音と霊場 ・長谷寺の宝物-つり鐘・懸仏・板碑 
・光則寺 ・光則寺と立正安国論 ・日朗上人土牢 ・大仏 ・大仏のできるまで
・大仏坂切通し・ ・甘縄神明社 ・由比ヶ浜 ・曽我兄弟と由比ヶ浜
■坂の下と極楽寺にある史跡
・御霊神社と鎌倉権五郎景正 ・面掛行列 ・星の井と虚空蔵堂 ・極楽寺坂 
・成就院 ・西方寺跡 ・上杉憲方の墓 ・極楽寺 ・忍性 ・熊野神宮 
・月影が谷と阿仏尼 ・稲村が崎と新田義貞 ・十一人塚
■山の内にある史跡
・円応寺(子育て閻魔) ・建長寺 ・柏槇 ・建長寺の梵鐘 ・大覚禅師の墓 ・心字池
・けんちん汁とたくわん ・半僧坊と座禅窟 ・長寿寺 ・明月院 ・浄智寺 ・東慶寺 
・円覚寺 ・円覚寺山門と仏殿 ・円覚寺の舎利殿 ・円覚寺・桂昌庵 ・円覚寺・仏日庵
・円覚寺・黄梅院・十王堂橋 ・びっこ石 ・八雲神社

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≪十二所≫にある史跡

LUGARES  HISTORICOS  EN  JUNISO
( Juniso: nombre de lugar)

<朝比奈切通し>  

* 朝比奈三郎
      切り通したると伝えらる
        苔むす岩の峠登りぬ


 * 迫りくる岩の窪みの茶屋跡に
       しばし佇み往時を憶う

<梶原太刀洗の水>   
 * 梶原景時
      上総介を討ち果たし
        岩間の清水で太刀を洗いぬ 

 * 太刀洗の水
      鎌倉五名水の一つなれど
        喉潤す気になれず

「十二所神社」
 * 神社には
      天神七柱地神五柱
        十二柱の神々御わす

 * わら葺の屋根の神社は
      十二所(柱)の地名とともに
         鎮守となりぬ

「光触寺」
 * 光触寺
      阿弥陀如来の本尊は
         運慶作と伝えられたり

 * 十二所の旧道辿り左へと
       回りて行けば光触寺なり


「塩嘗地蔵」
 * 六浦の塩売り
      朝比奈峠越え
       鎌倉へ塩売りに通いぬ

 *  塩売りは
      商売繁盛祈願して
        地蔵に塩を供えたり

 * 朝に供えし塩は
      夕べになくなりて
        地蔵が嘗めたにちがいなしと

 *  地蔵さん長寿の秘訣は
      塩嘗めることですかと
        顔見て問えり  

「大慈寺跡」
 * 谷あいの
      実朝建てし大慈寺の跡に
        草木繁り集いぬ
  
「明王院」
 * 火事にあい
      五大尊の不動明王一体のみ
        焼け残りぬ
  
「大江広元の墓」
 * 草深き
     山里の道分け入れば
       大江広元の墓と出会いぬ

≪浄明寺にある史跡≫
「足利公方屋敷跡」
 * 鎌倉幕府滅びし後
     足利幕府足利公方が
       睨みきかせり
  
 * 室町時代
     足利公方屋敷周辺が
       鎌倉の中心となりぬ
  
 * 足利公方屋敷跡
     土地の人はこの辺りを
       今もお屋敷と呼べり

「浄妙寺
 * 山門をくぐり抜けると
       鎌倉の五山第五座
         浄妙寺あり

 * 藤原鎌足の”鎌埋地”  
      鎌倉の名前の由来と
        聞き覚えたり

 * ”鎌埋地”
      鎌足埋めし鎌槍を
        掘り出すことは叶わぬのかや 
「報国寺」
 * 滑川の華の橋を渡り
      報国寺の釈迦三尊に合掌す

「文覚上人屋敷跡」  
 * 文覚上人
     法王院宣 以仁王令旨 掲げ
        頼朝に平家討伐決心させたり

「大御堂が谷」
 * 頼朝は
     父義朝の霊慰めんと
       勝長寿院(大御堂)建立しぬ

 * 大御堂
      文政十二年(1829)廃寺となり
        礎石ここかしこ見ゆるのみ

≪二階堂にある史跡≫
「荏柄天神」
 * 荏柄天神
     雷電に乗り来て
       光り発せし菅原道真が祭神なり

 * 荏柄天神
     日本三大天神と崇められし
       学問の神さまなり

「鎌倉宮(大塔宮)」
 * 鎌倉宮
     明治天皇創建され
       大塔宮護良親王祭られたり

 * 護良親王
     足利尊氏の讒言で
       社殿裏山の岩窟に幽閉されぬ

 * 護良親王
     幽閉の日々いかに過ごせしかと
       岩窟覗きこみたり

 *護良親王
    中先代の乱の折
       足利直義の命受けし
          淵辺義博に首刎ねられぬ

   <備考: 中先代 とは 北条時行 のこと> 


 * 明治天皇
     護良親王の足跡世に知らしめんと
       境内に石碑建てれり

「理智光寺跡」
  * 理智光寺住職
      護良親王の遺体を
       埋葬せし義僧なり

「永福寺跡」
 * 頼朝は
     中尊寺大長寿院に似せ
       永福寺を造営したり

 * 永福寺
     池の水面に美しき姿映せしも
      火災にあいぬ

 * 永福寺
     国の指定の史跡なるも
       今は土台の石残すのみ

<護良親王の首塚>
 * 首はねられし親王の目は
      生きている人の如くに光れりと

 * 藪に捨てられし親王の首
     理智光寺住職この地に葬れり

 * 理智光寺裏の石段登りつめ
     護良親王の首塚拝めり

「薬師堂‐覚園寺」
 * 北条義時 
     薬師如来戌神将のお告げにより
       薬師堂建てぬ
        
 * 北条貞時
    元寇撃退祈願し
     覚園寺建て薬師堂を本堂に組込めり
「黒地蔵
 * 覚園寺の黒地蔵
     地獄をめぐり
       罪人の責め苦を目にしぬ
       
 * 黒地蔵
     地獄の番人となり
       罪人の苦しみ解かんと欲せり
       
 * 黒地蔵
     地獄の炎浴び常に黒きゆえ
       黒地蔵と呼ばれり     

「覚園寺百八やぐら」
 * 覚園寺
     裏山に鎌倉室町時代の
       武士僧侶の墓やぐらあり

「十王石(喚十王)」
 * 半増坊への山道の
     自然石に
      閻魔王浮き出でし

「瑞泉寺」
 * 瑞泉寺
     鮮やかな四季の彩りが
       紅葉谷の清流に映る

 * 瑞泉寺
     夢想国師の開山にして
       境内は国定史跡なり

 * 瑞泉寺
     夢想国師の名園は
       国の名勝に定められし

 * 鎌倉公方の菩提寺
     瑞泉寺は
       歴代公方の墓守れり

「吉田松陰留跡碑」
 * 吉田松陰
    長州野山獄で詠いし漢詩
   「瑞泉寺方丈深く錦屏山の懐に~」
         の碑が山門に立つ 

「貝吹き地蔵」
 * 地蔵さん
    貝吹きならし
     北条高時の首葬る場所を示せり 

「関場橋」
 * 小田原北条氏直
      この橋に関所設け
        通行税課せりぬ

「歌の橋」
 * 罪人渋川兼守
     和歌十首に己のこころ詠みて
       無罪を訴えたり

 * 将軍実朝
      これを読みいたく感心し
        その罪を許せり

 * 兼守
     命助けられしお礼に
       歌の橋造りて寄贈したり  

「杉本寺」
 * 観音は
     文治五年(1189)お堂火災の折り
       庭の杉の木の本に避難しぬ

≪西御門にある史跡≫
「大倉(蔵)幕府跡」
 * 大倉幕府
      頼朝、頼家、実朝の
         武家政治の中心地なりし

 * 大倉幕府
     源氏三代
       政子亡くなるまで四十六年続きぬ

「西御門・東御門」
 * 頼朝は
     御所の西に西御門
       東に東御門を造りぬ

「源頼朝の墓」
 * 頼朝は
     大倉幕府の北側の
       山の中腹に眠りいる

 * 頼朝は
     大倉山の墳墓より
       幕府の栄華を偲びいるらん
 
「来迎寺」
 * 来迎寺
     西御門の谷戸の
       小高き丘の中腹に建てられぬ

 * 来迎寺の
      鮮やかな土紋の衣着た
        如意輪観音に見とれぬ

「白旗神社(法華堂跡)」 
 * 法華経を敬いし武家は
     先祖の霊を法華堂に祀りぬ

「大江広元の墓」
 * 政所別当大江広元は
      横穴古墳のやぐらに眠れり

≪雪の下にある史跡≫
「若宮大路」 
* 若宮大路
    鶴岡八幡宮より
     由比が浜に到る参道なり

* 由比が浜より
    一、二、三の鳥居立ちし
        若宮大路を辿りぬ

「段葛」
* 頼朝は
   二と三の鳥居の間に
      かつら石の土手を敷かせり

* 頼朝は
   政子の安産祈りて
      かつら石を一段高く敷きぬ
 
* この一段高きかつら石の土手は
      段葛と呼ばれ今に至れり


「宇津宮辻子幕府跡」
* 政子亡くなりし後
     幕府は大倉より
       宇津宮辻子に移りぬ  

* 藤原頼経、頼嗣二代の将軍は
      ここで十七年間政治行いぬ 
 
* 幕府跡を訪ね行けば
     宇津宮辻子稲荷が
       主となり棲みおる

        
「若宮大路幕府跡」
* 三番目の幕府は
    若宮大路三の鳥居の
        東に造られり 
     
* 四代の将軍
    八十二年間
     若宮大路幕府で政務執りぬ

* 北条氏の滅亡とともに
     鎌倉幕府も終焉を告げぬ

<鶴岡八幡宮> 
* 鶴岡八幡宮
   大臣山の削平されたる地に
     創建されぬ
      <建久二年(一一九一)>

* 鶴岡八幡宮の祭神は
    応神天皇 神功皇后 比売神なり

* 頼朝
    八幡宮を崇めしゆえに
       諸国の武士も八幡宮まつりたり

* 鶴岡八幡宮
   人々の信仰厚く
     お参りする人絶えることなし 

* 八幡宮例大祭は
   九月十四日宵宮祭り 例際 流鏑馬と続きぬ


<大いちょうと実朝>   
* 実朝は
    拝賀の式終え
       降りしきる雪の中をば石段下りぬ

* 公暁
   大いちょうの木陰より
       実朝に太刀浴びせ首取り逃げたり

* 実朝二十八歳
       その亡骸は勝長寿院に葬られぬ 

* 公暁は
   十九歳の若者なれど
     北条義時らに討たれたり

* 公暁は
   二代将軍頼家の二男なりしも
      軽薄な性格なりし

* 頼家は
   北条氏の陰謀により
     伊豆修善寺で暗殺されぬ
   
* 北条氏
   公暁だまし実朝殺させ
     源氏を滅ぼさせたり

* 大いちょう
   強風で根こそぎ倒れ
    歴史を語る舞台なくなりぬ

 
<下宮(若宮)>
* 静御前 「しずやしず ~ 」 と
         義経慕いつつ舞い終えたり
            文治二年(一一八六)

「白旗神社」

* 白旗神社
    若宮の東の木立の中に
       頼朝、実朝祀られぬ

* 白旗神社
    秀吉参拝せし折
       頼朝の木像に語りかけぬ

「源平池」

* 三の鳥居くぐりて
    ひょうたん型の蓮池・源平池に目をやりぬ

* 源氏の池には白い蓮
    平家の池には赤い蓮が植えられぬ

* 源氏の池に三つの島
    平家の池には四つの島が築かれたり     

* 白蓮は白旗
    赤蓮は赤旗
       三は産 
        四は死を意味しぬ
 
* 白旗の源氏が栄え
    赤旗の平氏は滅ぶことを表せり

「頼朝と西行」
* 文治二年(一一八六)
    頼朝は三の鳥居付近で
       奥ゆかしき僧に出会いぬ

* 西行
   大仏殿の資金調達で
      奥州に向う途中なりし

* 頼朝
   西行に逗留願うも
      西行応じず鎌倉を去りぬ


「畠山重忠の屋敷跡」
* 重忠は
   頼朝に将軍頼家が事託されしも
      北条氏に滅ぼされぬ
 
* 重忠の屋敷は
    白旗神社の先の
      赤き鳥居の辺りにありし

「三浦義村の屋敷跡」
* 義村
   石橋山の敗戦を知り
     安房に渡りて頼朝励ませり

* 頼朝
   重臣義村に
    幕府に近き大臣山の東に邸宅与えぬ

「鉄の井」
* この井の底に
    鉄観音の首鎮座せしゆえ
           ”鉄の井”と呼ばれぬ
* 鎌倉十井の一つ
    ”鉄の井”は
       冷たき甘さ持つ名水なりし

「新宮(今宮)」 
* 承久の乱(一二二一)後 
    鎌倉幕府は
      八幡宮の山麓に社殿建てたり

* 後鳥羽、土御門、順徳各上皇の
         御霊慰める新宮なりし

「二十五坊」

* 小袋坂への曲がり角に
    八幡宮供僧の住坊ありし

* 頼朝
   供僧の数を
      二十五菩薩になぞらえ
          二十五僧と定めぬ

「巨福呂坂(小袋坂)」

* 鎌倉七切通しの一つにして
      八幡宮の裏より
         建長寺に通じぬ

≪小町にある史跡≫
「本覚寺」
 * 足利公方・足利持氏
     日出上人の人柄に感じ入り
       本覚寺建てたり

 * 本覚寺は
     若宮大路と小町大路に挟まれし      
       夷堂跡にあり         
   
「夷堂」
 * 頼朝
    幕府の裏鬼門方角に
      守り神の夷神祀れり

 * 滑川に架かる
     夷堂橋は
       鎌倉十橋の一つなり

「大巧寺」   
 * 頼朝
    大行寺と呼ばれし寺で
      作戦練りて戦に勝利しぬ

 * 頼朝
    この寺の名を
      大行寺より大巧寺に改称したり

 * 日棟上人
      難産で亡くなりし女の幽魂により   
       ”産女堂”建てぬ

 * かの産女 
     ”おんめさま”と呼ばれ
        安産の神さまと信仰されぬ

「蛭子神社」
 * 本覚寺前の
     小町大路を北に辿り
        蛭子神社拝しぬ

 * 昔の夷堂が
      蛭子神社となり
        大国主命まつりぬ

「琴弾きの松」
 * 琴弾橋の東の
      小御所ヶ丘と呼ばれし
        丘の上に松ありし

 * 松風が
     琴の音色の如きなれば
        琴弾の松と呼ばれたり

「日蓮上人辻説法跡」
 * 日蓮は
     人通り多き辻に立ち
       法華経の正しさを説きぬ

「日蓮上人」
 * 日蓮
    安房国に生まれしも
      鎌倉にて法華経布教に努めり

 * 日蓮
     外国の侵攻で国滅ぶと
       「立正安国論」著せり

 * 日蓮
     蒙古来襲により
       「立正安国論」の正当性説きぬ

 * 日蓮
     佐渡に流されし後
        鎌倉に戻り夷堂に住めり
「妙隆寺」
 * 妙隆寺
     小町大路に顔を向け
       若宮大路に背を向け立ちぬ        

 * 鎌倉時代
     若宮大路側の
       出入口設置は禁じられし

 * 二代目日親上人は
     将軍足利義教に弾圧されぬ

 * 日親上人
     将軍に捕らえられ
       赤熱せし鉄鍋をかぶせられたり

 * 日親上人 
     ”鍋かぶり日親”と慕われ
        その名を世に広めたり

「東勝寺跡と腹切りやぐら」 
 * 東勝寺橋渡り
     葛西が谷の坂道登れば
       東勝寺跡なり

 * ここは
     北条泰時創建せし
       北条氏の寺跡なり

 * 新田義貞に攻められし
     北条高時
       この地で自刃し果てぬ   

「宝戒寺」
 * 白萩の花で知られし宝戒寺
     北条執権屋敷跡に建ちぬ

 * 新田義貞
     鎌倉に攻め入りて
       北条執権屋敷焼き払いぬ     

 * 後醍醐天皇
     北条一族慰めんと
        宝戒寺建立させたり

「土佐坊昌俊の屋敷跡」
 * 土佐坊昌俊
     頼朝の命受け
       義経を京で討とうと企てり

 * 土佐坊昌俊の屋敷は
     宝戒寺境内の
       南にありしと伝えらる

≪大町にある史跡≫
「妙本寺」
 * 比企能員の女若狭局
     将軍頼家の寵愛を受けぬ

 * 若狭局
    一幡を生み
     頼家弟千幡(実朝)との跡目
                  争い起りぬ

 * 北条時政
      次期将軍は
        一幡にと図りし比企能員を
                    殺しぬ

 * 比企一族
      一幡を擁し
        比企が谷に立てこもり
             時政軍と戦いぬ

 * 時政の大軍
      比企が谷に攻め寄せ
         比企一族を滅ぼしぬ

 * 一幡
     戦火に焼かれ
       若狭局は
        井戸に身を投げ亡くなりぬ

 * 能員の末子(大学)
     日蓮の弟子となり
       父の屋敷跡に妙本寺建てり


「一幡の袖塚」
 * 妙本寺
     山門脇の小さき墓は
        一幡の袖塚なりし

 * 一幡の
      焼け残りし小袖の端は
         ここに埋められぬと

「蛇苦止明神」
 * 若狭の局
      家宝抱き井戸へ入水し
         蛇と化して家宝守りぬ

 * 執権北条政村の姫に
         若狭局の怨霊
            乗り移りたり

 * 北条政村
     姫の苦しみ和らげんと
       祠を建て若狭局の霊祀りぬ

 * この祠
     蛇苦止明神と呼ばれ
       妙本寺の守護神となりぬ

「新釈迦堂跡」
 * 二代将軍頼家の
       遺姫竹の御所(一幡の妹)
         住みいし館跡を捜しぬ

 * 竹の御所跡は
      妙本寺の祖師堂池を
         隔てた所にあり

 * 竹の御所
    難産で亡くなりし時
   釈迦堂建てそこに葬り給え
                  遺言せり

 * 竹の御所は
     祖師堂墓地に建てられし
       新釈迦堂跡に眠れり

「常栄寺(ぼたもち寺)」
 * ぼたもち寺と
     呼ばれし常栄寺の
       縁起に触れんと門をくぐりぬ

 * 日蓮が
     龍の口で救われたるは
     老婆(桟敷尼・法名:妙常日栄)
        与えしぼたもちゆえと
                 
 * 老婆亡くなりし時より
     その法名に因み
       常栄寺と呼ばれぬ


「下馬」
 * 鶴岡八幡宮を参拝せし武士は
      この辻で馬降りよと命じられぬ

 * 神仏を敬う時代の武士は
      八幡宮前のこの辻で下馬したり

「身代わり地蔵と延命寺」
 * 延命寺
     辣腕政治家
       北条時頼夫人の創建なり

 * 延命寺の
      裸の姿で彫られし地蔵
        今日は衣を着ていたり

 * 身代わり地蔵の名の由来
      時頼夫人の双六の
        勝負を救いし故と 

「八雲神社」
 * 八雲神社
      社宝の神輿 剣 銅鏡 猿田彦面 
         勢揃いしぬ

「別願寺」
 * 別願寺
      室町時代の足利氏
         代々深く帰依したり

「昇竜観音(良縁観音)と安養寺」
 * 昇竜観音に
     政子祈りて
       頼朝と縁を結ばれ
         天下を取りたり

「上行寺」
 * 妙法寺より
     移築されし本堂の
        彩色格天井に魅入りぬ

「佐竹屋敷跡と大宝寺(多福寺)」
 * 後三年の役(一〇八三)の後
      新羅三郎義光
         この地に居住せり

 * 佐竹屋敷
     義光末裔秀義 
       佐竹氏歴代の館跡なり

 * 室町時代
     佐竹義盛出家して
       館の近くに大宝寺建てぬ

「唐糸やぐら」

 * 木曽義仲家来
     手塚太郎の娘唐糸
       頼朝に仕えぬ
 
 * 唐糸
     義仲の回し者と見破られ
      土牢に押し込められたり

 * 唐糸の
     閉じ込められし山あいの土牢は
       唐糸やぐら と呼ばれぬ
 
「岩窟(法窟)と安国論寺」

 * 日蓮
     岩窟を道場とし
       立正安国論を書き上げたり

 * 日蓮の弟子日朗
     岩窟の際に寺造り
       安国論寺と名づけぬ

「妙法寺」
 * 護良親王皇子
     父の悲壮な最期を悲しみ
       妙法寺を創建しぬ

「長勝寺」
 * 日蓮が
     石井長勝より貰いし屋敷は
       帝釈天霊場となりぬ

「日蓮乞水」
 * 日蓮
     水欲し杖を地に突きさせば
       清水湧き出でぬと伝えらる

 * 日蓮乞水
     今もわずかに流れ出で
       鎌倉五名水に数えらる

「名越の切通し」
 * 名越の切通し
     狭き峠道に
      大空洞  小空洞の難所あり

「辻の薬師」
 * 辻の薬師 
     薬師如来の胎内より
      あまたの経巻現れ出でたり

「本興寺と辻説法」
 * 日蓮
     辻説法行いし地に
       弟子天目本興寺建てぬ


「教恩寺」
 * 教恩寺
     境内掘ればあふれ出でし
       中国宋と明の古銭が

「裁許橋」
 * 将軍頼家 
     問注所を
      佐助川にかかりし
       橋の脇に設けたり

 * この橋
     裁許橋と名づけられ
       鎌倉十橋の一つとなりぬ

「六地蔵」
 * 六地蔵 
     刑場で処刑されし罪人を
       供養せんとまつられたり

≪扇が谷にある史跡≫
「正宗の井と刃稲荷」
 * 名刀鍛冶五郎正宗
       身を清めし井は
           小路沿いにあり

 * 日本一の
      刀鍛冶となりし正宗
          刃稲荷をまつりぬ

「寿福寺」
 * 政子 
    頼朝の父義朝の屋敷跡に
             寿福寺を建てぬ

 * 寿福寺
     鎌倉五山第三位の
        優雅さを山門に漂わしぬ

 * 源氏山際に
      実朝政子の五輪塔
           守りしやぐら並びぬ

「勝の橋」
 * お勝の局(英勝尼)
       架けし橋は小さきなれど
             鎌倉十橋の一つなりき

「八坂神社(相馬天王)」
 * 八坂神社
      相馬次郎まつりしも
          今は扇が谷の鎮守さまなり

「英勝尼」
 * お勝の局(英勝尼)
      大田道潅孫娘は
            水戸頼房の養母となりぬ

 * お勝の局 
      大田道潅住みいし屋敷の跡に
                  尼寺を建てぬ

 * 英勝寺
     代々水戸家より姫君迎えて
                住職となしぬ

 * 英勝寺
     仏殿 祠堂 唐門 鐘楼は
           江戸時代初期の建物なり

 * 英勝尼
     賢さ見込まれ家康に仕え
             お勝の局と呼ばれぬ

「阿仏尼墓」
* 「十六夜日記」
      著したる阿仏尼の墓
           英勝寺の道ばたにあり

「源氏山」
 * 源頼義
    奥州征伐の折
       この山にて戦勝祈願しぬ

 * 頼義
    山上に源氏の白旗立てしゆえに
                源氏山と呼ばれぬ

「浄光明寺」
 * 阿弥陀堂で阿弥陀三尊像を
      不動堂で八坂不動明王を拝みぬ

「冷泉為相の墓」
 * 歌人冷泉為相
      国の史跡に指定されたる
              印塔の墓に眠りぬ

「泉の井と扇の井」
 * 鎌倉十井の一つ
     泉の井からは
          今も清水湧き出でる

 * 扇を開きしが如き
      形したる扇の井
          鎌倉十井の一つなり

「亀が谷坂(亀返り坂)切通し」
 * 亀が谷坂切通し
     急坂ゆえに
        亀は登れず引き返しぬと

 * 亀が谷坂切通し
     国の史跡の
        鎌倉切通の一つなり

 
「海蔵寺」
 * 開山は
     ”那須野の殺生石” 叩き割りし
                源翁禅師なり

 * 源翁
    経文唱えつつ
        金づち形の杖で
           殺生石を一撃しぬ

 * 殺生石砕け飛び
       源翁使いし金づちは 
           ”げんのう” と呼ばれぬ

「泣薬師(児護薬師)」
 * 源翁
    裏山の土中より
       子児の泣く声耳にし
            薬師掘り出しぬ

 * 源翁
    この薬師を 
      ”泣薬師” と名づけ
                             本尊としぬ

「底脱の井」 
  * "桶の底ぬけて ~" 
         歌に詠まれし底脱の井は
                鎌倉十井の一つなり
「十六の井」
  * 4メートル四方の
        洞穴に4つづつ
            四列に並びし井戸あり

「景清の牢跡」
  * 悪七衛景清
        頼朝の奈良大仏参拝の折
                頼朝の命狙いぬ
  * 景清捕えられ
        化粧坂の道ばたの
              土牢に押し込められぬ
「化粧坂」
  * 新田義貞
      元弘三年(一三三三)
        化粧坂越え鎌倉に軍を進めたり

  * 鎌倉七切通しの一つ
       化粧坂の名の起り
            いろいろありぬ
         
  ~ 化粧せし平家の大将首 ・ 化粧せし町家の女
    ・ 生い茂る木はえ等 ~

「葛原岡神社と日野俊基の墓」
  * 化粧坂登り行けば
        日野俊基まつりし
            葛原岡神社あり
  * 日野俊基
        元弘の乱により捕らえられ
              この地で斬首されたり
  * 俊基辞世の歌 
       ”秋を待たで
                      葛原岡に消ゆる身の ~ ”
                                       墓前に捧げぬ
  * 新田義貞
       この岡より鎌倉に攻め込み
                  鎌倉幕府倒しぬ

「銭洗い弁天」
  * 銭洗い弁天
       ご神体の宇賀神は
            人頭蛇身の水の神なり
  * 祠の岩窟より
       湧き出ずる泉水は
            ”銭洗い水”と呼ばれぬ
  * 宇賀神の
       幸せもたらす泉水は
          鎌倉五名水の一つなり
  * この泉水で
       洗い清めし金銭は
           二倍になりて戻りぬと
  * 宇賀神の
       己の縁日に人々は
           笊を用意し金入れ洗いぬ

「佐助稲荷」
  * 佐助稲荷の神霊
         流人佐殿に
            挙兵勧め命助けぬ
         備考: すけ(佐)殿 -頼朝幼少名
  * 頼朝
      命助けられしお礼に
         社殿再興し 「佐助稲荷」 と名づけぬ

≪材木座にある史跡≫
「一の鳥居」
  * 一の鳥居
       石造りにして
         国の重要文化財に指定されぬ

「畠山重保の墓」
  * 畠山重保
       ぜんそくの咳の発作最中に
            北条時政に討たれぬ

  * 重保の墓
       明徳四年(一三九三)に造られ
            咳の神さまとして信仰されぬ

「和田塚」
  * 執権北条義時
       和田義盛一族滅ぼして
            幕府実権手中にしたり

  * 和田一族の首二百数十
        由比が浜にて
            首実検されたり

「元八幡」
  * 源頼義 
      康平六年(一〇六三)
           源氏の氏神を鎌倉に移しぬ

  * 京都岩清水八幡宮は
         鎌倉由比郷鶴岡の
             鎌倉八幡宮となりぬ
  * 源頼朝
        治承四年(一一八〇)
           八幡宮を現在の場所に移しぬ

  * 由比郷八幡宮は
        元八幡と呼ばれしも
           朱塗りの宮は凛としておわしぬ

  * 奥ゆかしき神域に
        古の源氏人の
             姿を偲びぬ

「妙長寺」
  * 日蓮
      北条氏に憎まれ
        弘長元年(一二六一)伊豆に流されぬ

  * 日蓮を
       岩上より助けし漁夫の息子
              日蓮の弟子となりぬ

「妙長寺」
  * 漁夫の子
         日実上人となり
             鎌倉に妙長寺を建てたり

「向福寺」
  * 一向上人開山の向福寺
    ” さいわい(福)に む(向)くしるべなるらん ”
         と詠われぬ

「九品寺」
  * 新田義貞
       北条氏討つため鎌倉に進軍し
                この地に陣を張りぬ

  * 新田義貞
      延元二年(一三三六)
        戦死者の霊慰めんと九品寺建てぬ

  * 本堂に掲げられし
         「九品寺」の文字は
              義貞の直筆なり

「補陀洛寺」
  * 補陀洛寺の観音詠いし歌
      ” みほとけの ~ 慈悲のおしえは ”
         本堂入口に掲げられぬ
「荒居閻魔堂跡」 
  * 地獄の大王棲みいし
        閻魔堂は
          地震と津波で倒壊したり

「実相寺」
  * 実相寺
       弘安七年(一二八四)
         工藤祐経屋敷跡に建てられぬ

  * 実相寺
       祐経娘の子日昭上人開山せし折は
           妙法華寺といわれぬ

  * 実相寺
        元和七年(一六二一)
           日潤上人により再建されぬ

「五所神社」
  * 八雲・三島・諏訪・金毘羅・見目の
              五つの神社がまつられぬ

  * 材木座の氏神
        五所神社は
            例祭を最大に行わせたり 

「光明寺」
 * 光明寺
      鎌倉四大寺の一つに適う
              輝く伝統持ちぬ

 * 光明寺
      大門見上げ
         本堂の優美な屋根に見とれたり

 * 材木座
      材木を商いし商人が
          幕府に保護受け居住しぬ

 * 滑川
      静かなる浜を
          材木座と由比ヶ浜とに分断しぬ

「和賀江島(和賀江津)」 
 * 和賀江島
      現存の日本最古の築港は
             伊豆石で築かれぬ

 * 和賀江島には
      数百そうの回船が
         いかりを下ろし停泊したり

 * 建保四年(一二一六)
        実朝は唐船作らせ
             宋に渡らんと企てぬ

 * 和賀江津の海は
        遠浅ゆえに唐船浮かばず
                  実朝嘆きたり

「六角の井(矢の根井戸)」
 * 保元の乱(一一五六)後
        鎮西八郎為朝捕らえられ
             伊豆大島に流されぬ

  * 為朝
      腕の筋切られしも大島より
            鎌倉目がけて矢を射てり

  * 為朝の射てし矢は
        うなりをたてて海を飛び越え
               六角の井に落ちぬ

「住吉城と正覚寺」
  * 住吉城
       三浦道寸の支城にて
           山と海に守られたる砦なりし
 
  * 永正九年(一五一二)    
       城の大将三浦道合
           北条早雲に攻められ自刃しぬ

  * 正覚寺
       石段のぼり眼前に
           広がる相模の海を眺めり

≪長谷にある史跡≫
「収玄寺」 
   * 日蓮の弟子四条金吾
        竜の口にて
            日蓮の身代わりを申し出でぬ

   * 四条金吾夫妻像
        まつりし収玄寺は
            四条屋敷跡にあり

「長谷観音」
   * 高さ十二メートル
        木像十一面観音は
            神々しき光を放てり

「長谷寺と観音霊場」
   * 観音信仰の
        歴史は古く
           鎌倉に三十三の霊場あり

「長谷寺の宝物 - つり鐘・懸仏・板碑」
  * 長谷寺のつり鐘は
          鎌倉時代の
             代表的古鐘の一つなり

  * 神を表せし鏡に
        仏像のつきしものを
             懸仏と言うらん

  * 板碑と呼ばれし
         石の塔婆は
            三メートルの高さを持ちぬ

「光則寺」
  * 宿谷光則
       日蓮への信仰深く
           屋敷を光則寺に改めぬ

「光則寺と立正安国論」
  * 日蓮は
       光則に「立正安国論」を
           北条時頼に言上依頼しぬ

「日朗上人土牢」
  * 日朗上人
       竜の口の法難に連座し
           光則寺土牢に押し込められぬ

「大仏」
  * 高徳院
       こわき顔した金剛力士(仁王)が
              仁王門に立ちはだかりぬ

  * 赤き仁王は口を開け
       青き仁王は口を閉じ
             睨みきかせり

  * 仁王の開口は
     「阿 - 物事の始まり」を
      閉口は「吽 - 物事の終わり」を意味しぬ

  * 仁王門の
       左右に立ちたる金剛力士は
              大仏の守り役なり

  * 与謝野晶子が
       「美男におわす」と詠いし大仏は
                   高徳院の本尊なり

  * 高徳院の本尊は
             美しき阿弥陀如来の
                                         大仏なり

  * 大仏の高貴な御姿に
         人々の
           こころ癒され安らぎぬ

  * 大仏の
      うしろの山は仏の光背
           後光山と名づけられぬ

  * 大仏の
      上半身は下半身よりも
           大きく鋳造されたり

  * 大仏の頭は
      体に比べ大きく
           前方に傾きている

  * 大仏の
      頭の傾きたるは
           下から拝めるようにとの意図なり

  * 大仏の
      弓なりのまゆげ 水平な目 
           微笑した口元は美の調和なり

  * 大仏は
     座長十一メートル
        体重百二十一トンの巨体なり

  * 大仏は
     その大きさと美しさにより
            世界に知れ渡りぬ

  * 大仏の
     額のこぶ 「百毫」 は
            仏の光明を世に放てり

  * 大仏の
     だんごの如き頭の毛 「螺髪」 は
                六百五十六個あり

「大仏のできるまで」
 * 頼朝 
     鎌倉に居を定めし折
         東国にも大仏造らんと願いぬ

 * 頼朝この世を去りし後
      稲多野局
         頼朝の願いを叶えんと思い立ちぬ

  * 暦仁元年(一二三八)
       稲多野局 
          木造の大仏造り伽藍も建てぬ
「大仏のできるまで」
 * 木造の大仏
         大風で倒れし後
            稲多野局金銅の大仏造りぬ
               <建長四年(一二五二)>

 * 僧浄光
        六年間全国を托鉢し勧進集め
                大仏の鋳造に努めり

 * 大仏は
        鋳物師丹次久友 
          大野五郎右衛門らの労作なりしと
                <元弘三年(一三三三> 

 * 明応四年(一四九五)
        大仏は地震津波に襲われ
              大仏殿が倒壊しぬ

 * 大仏殿の修復叶わず
        大仏は露座の大仏となり
                 今日に至りぬ

 * 露座の大仏は
       四季折々の
           自然の織りなす美しさと調和しぬ

 * 露座の大仏に
          降りそそぐ桜の花びら
              絹糸の雨に心なごみぬ

 * 露座の大仏の
          自然との融合に
              秋の名月真綿の雪も加えたし

「大仏坂切通し」
 * 大仏わきを
          藤沢に向かう大仏切通しは
                鎌倉切通しの一つなり

「甘縄神明社」
 * 甘縄神明社
        天照大神を祀りし長谷の鎮守にて
                    頼朝も参拝しぬと

「由比が浜」
 * 由比ヶ浜
        笠懸などの武術を
             披露する場所に使われぬ

 * 由比ヶ浜
       数々の戦場となりて
          血なまぐさき風がぬ

 * 静御前
        捕らえられ頼朝の家来
         安達新三郎の屋敷に預けられぬ

 * 義経の子を
        身ごもりし静
           ”女の子生まれよ” と祈願しぬ

 * 文治二年(一一八六)八月
        静の願いむなしく
            男の子が生まれぬ

 * 頼朝の命により
        新三郎は静の産みし男の子を
            由比ヶ浜の海に投げ込みたり

「曽我兄弟と由比ヶ浜」
 *曽我兄弟
       頼朝の命により
         由比ヶ浜にて首切られんとしたり

 * 幼き兄弟
        兄一万は十一 
          弟箱王は九歳なりし

 * 伊豆の豪族
        伊藤入道の子祐泰は
            曽我兄弟の父なりき

 * 祐泰は
        伊藤入道に恨み持つ
           工藤祐経に討たれぬ

 * 祐泰の妻は
        曽我に住み居し
            曽我祐信と再婚しぬ

 * 曽我は
      小田原の酒匂川辺りにて
         曽我兄弟の名はここから生まれぬ

 * 工藤祐常
        頼朝に画策し
            曽我兄弟を討ち取らんとしたり

 * 梶原景時
     ”石橋山の合戦の折頼朝助けたり” と
                曽我兄弟の命乞いしぬ

 * 畠山重忠
        ”頼朝は池の禅尼のとりなしで
           一命助けられし” と頼朝説きぬ        

 *重忠
     ”政には力のみでなく
            情けも必要” と頼朝を諭しぬ

 * 頼朝
      曽我兄弟の処刑を取り止め
                兄弟を家臣に預けぬ

 * 兄弟と
      祐信乗せし三頭の馬は
              由比が浜を後にしたり

 * 一万は
      元服し曽我十郎 
          箱王は曽我五郎と名乗りぬ

 * 工藤祐経を
      富士のすそ野で討ち果たしは
        十郎二十二 五郎二十歳の時なりき

≪坂の下と極楽寺にある史跡≫
「御霊神社と鎌倉権五郎景正」
   * 祭神は
        武勇の誉れ高かりき
            鎌倉権五郎景正なり

「面掛行列」

   * 御霊神社の祭礼は
        技楽 舞楽 田楽に使われし
                    面の行列なり

「星の井と虚空蔵堂」
   * 鎌倉十井
       「星の井」は
        極楽寺切通し「坂の下」登り口にあり

   * 無限の知恵
        持ちし虚空菩薩の蔵堂は
                   星井寺と呼ばれぬ

   * 昔人は
        極楽寺切通しの「星の井」で
               のどを潤し一休みしぬ

「極楽寺坂」
  * 極楽寺坂腰越通りは
        藤沢に到る
           鎌倉七切通しの一つなりし

  * 新田義貞
       一〇万の大軍を
          極楽寺坂に進軍させぬ
               ~ 元弘三年(一三三三)

「成就院」

  * 成就院は
        不動明王を本尊とし
           極楽寺坂の高台にあり

「西方寺跡」
  * 極楽寺の
        塔頭なりし西方寺跡に
           宝篋印塔静かに立ちぬ

「上杉憲方の墓」
  * 関東管領勤めし
        憲方の多層塔の墓は
                国の史跡なり

「極楽寺」
  * 極楽寺
      執権北条義時の三男重時と
           僧忍性により開かれぬ

 * 戦火地震により
       塔頭なりし
          吉祥院のみが残りたり

 * 吉祥院本尊の
       清涼寺式釈迦如来像は
                尊き秘仏なり

「忍性」
 * 忍性 
     極楽寺開き
        施薬療養院造り人々救いぬ  

「熊野神宮」
 * 熊野神宮 
     忍性により建てられし
         極楽寺の鎮守の神なり

「月影が谷と阿仏尼」
 * 月影が谷にありし
         「十六夜日記」作者
             阿仏尼の屋敷跡に佇みぬ 

「稲村が崎と新田義貞」
 * 元弘三年(一三三三)
         新田義貞稲村が崎より
             鎌倉に攻め込まんとしたり

 * 義貞
      後醍醐天皇より賜りし
          黄金の太刀を海に投じぬ

 * 義貞
      海神に祈れば海の潮ひきて
             鎌倉に攻め込みたり

 * 稲村が崎より
        富士の山 伊豆の山々 
              眼前に浮かび上がりぬ

 * 鎌倉の東の境は六浦 
        西は稲村 南は小坪 
                 北は山の内なりし

「十一人塚」
  * 北条方本間山城左衛門
        手兵率いて
           新田軍の本陣に切り込みぬ

 * 新田軍浜手の大将
        大館又次郎が家来    
             十一人自刃し果てぬ

 * 自刃せし
      武士たちの魂は
        十一人塚と呼ばるる墓に眠りぬ

≪山之内にある史跡≫
<円応寺(子育て閻魔)>
 * 円応寺
     本尊の閻魔大王に睨まれて
           亡者どもは震え上がりぬ

 * 大王は
     恐ろしき形相して
        地獄より人間界を眺めいる

 * 大王は
     大きな目玉 かっと開きし口 
          盛り上がりたる額を持ちぬ

 * 運慶
     病で仮死状態になりし時
          地獄で閻魔大王に会いぬ

 * 運慶
     大王に言われぬ
         ”わしの姿を彫刻し
              人間どもに見せよ”

<円応寺>
 * 運慶
     記憶をもとに
        高さ二メートルの大王を彫り上げたり

 * 大王を中心に
     十体の裁判王と
        三途の川の奪衣婆像が控えいる

 * 円応寺で
     名づけられし赤ん坊は
        丈夫に育つと伝えらる

<建長寺>
 * 建長寺
      北条時頼と
         宋の蘭渓道隆により創建されぬ
               -建長五年(一二五三)-

 * 建長寺
      鎌倉五山第一位の
         禅宗の創立寺となりぬ

 *  蘭渓道隆亡くなりし後
             後醍醐天皇
                    大覚禅師の名を与えぬ
                 -禅号の初め

 * 元亨三年(一三二三)
      建長寺の僧侶の数は
             千人に及びぬ

 * 建長寺
      境内にありし塔頭は
             四十九院ありし
              
 (塔頭 - 小寺)

 * 建長寺
      惣門 山門 仏殿 法堂は
             中心線上に配置されぬ

 * 建長寺
      山門 仏殿 庫裏 僧堂 衆寮は
           回廊で結ばれぬ

 * 建長寺 
      現存したる塔頭は
           ほんの九院を数えるのみ

<柏槇> 
 * 蘭渓道隆
      宋より柏槇の種を持参し
           山門と仏殿の間に植えぬ

 * この柏槇
      七五〇年の歳月を
            経て大木となりぬ

<建長寺の梵鐘>
 * 建長七年(一二五五)
         建長寺梵鐘は
           北条時頼の寄進で造られぬ

 * 建長寺銅鐘は
       美しき形の中に
           重厚さを持ちぬ

<大覚禅師の墓>
 * 西来院裏山の
       大覚禅師の
           無縫塔の墓を拝しぬ

<心字池>
 * 方丈北庭の
       心字池は
          開山の蘭渓道隆の作なり

<けんちん汁とたくわん>
 *蘭渓道隆の
       作りし建長汁が
          いつしかけんちん汁となりぬ

<けんちん汁とたくあん>
 * 沢庵和尚
      建長寺の山門
          仏殿の復興に尽力しぬ

 * 沢庵和尚の
      考えだした漬物は
          たくあんと呼ばれ親しまれぬ

 <半僧坊と座禅窟> 
 * 半僧坊 
      からす天狗に迎えられ
          息を切らせて石段のぼりぬ

 * 蘭渓道隆
      座禅修行せし洞窟を
          そっと覗きて合掌したり

<長寿寺>
 * 足利基氏
      建立したる長寿寺の
          尊氏像と挨拶交しぬ

<明月院>
 * 明月院
     上杉憲方の開基にて
           北条時頼の塔所なり 

 * 明月院 
     石段脇に
        北条時頼の宝篋印塔の墓あり  

 * 明月院
     境内一面の紫陽花で知られ
            あじさい寺と呼ばれぬ

<浄智寺>

 * 浄智寺は
     北条師時に建立されし
        鎌倉五山第4位の寺なり

 * 浄智寺の
      豊かな緑におおわれたる境内は
           国の史跡なり

 * 浄智寺の
      山門鐘楼に暦応三年(一三四〇)鋳造の
           銅鐘つりさがりぬ

 * 浄智寺の
      総門わきに鎌倉十井の一つ
           甘露の井あり 

<東慶寺(縁切寺・駆け込み寺)>
 * 東慶寺
      縁切法を制定し
           女人の離縁を可能にしたり

 * 東慶寺
      夫婦の縁を切ることから
           「縁切寺」と呼ばれたり

 * 東慶寺
      離婚欲せし女人駆け込みしゆえ
           「駆け込み寺」とも言われたり

 * 東慶寺
      三年修行したる女人の夫は
           社務所に呼び出されたり

 * 離縁状
      三行半で書かれしゆえ
         「三行半(みくだりはん)」と呼ばれぬ

<円覚寺>
 * 北条時宗
      元寇の戦いで亡くなりし人々の
                 霊慰めんと願いぬ 

 * 円覚寺
     北条時宗と
        仏光国師(無学祖元)により建立されぬ

 * 円覚寺
     鎌倉五山第二位にして
          塔頭は四十一院ありし

<円覚寺山門と仏殿>
 * 円覚寺山門に
       伏見上皇書かれし
           「円覚興聖禅寺」の額あり

 * 円覚寺仏殿は
      昭和三十九年に
           コンクリートで再建されぬ

<円覚寺の大鐘>
 * 円覚寺大鐘は
      北条貞時より
           寄進されし名鐘なり

 * 円覚寺舎利殿には
      頼朝が宋・能仁寺より貰いたる
             仏舎利がまつられぬ
               (仏舎利-お釈迦さまの骨)

<円覚寺の舎利殿>
 * 円覚寺舎利殿
       二重屋根持ちたる
           唐様のすぐれし建物なり

<円覚寺・桂昌庵>
 * 桂昌庵
       閻魔中心に十王像が
           人間どもを待ち構えぬ

<円覚寺・仏日庵>
 * 仏日庵
      時宗の廟所にて
         貞時 高時の木像もまつられぬ

<円覚寺・黄梅院>
 * 黄梅院 
     薬師如来像 聖観音像に守られたる
         夢想国師の塔所なり

<十王堂橋>
 * 十王堂橋
       鎌倉十橋の一つにて
           橋のそばに十王堂ありしと

<びっこ石>
 * びっこ石 
     知らずに踏めば丈夫な足に
          知りて踏めばびっこになりぬと

 * びっこ石
      火難災難よけの
        「神の石」「清明の石」と呼ばれぬ
           *清明~平安時代の占い師・安部清明

<八雲神社>
 * 八雲神社 
       山の内の鎮守にて
          祭神は素戔鳴尊なり

 * 八雲神社
       鎌倉で最も古き
          寛文五年(一六六五)の庚申塔あり